建物明け渡し請求コラム
「どのような行為が契約違反による解除が可能な『背信的行為』となるか」
第1 信頼関係破壊の法理とは
民法541条本文[1]によれば,賃借人が賃貸借契約に違反した場合,賃貸人は,相当の期間を定めてその契約違反の是正を求め,その期間内に違反が是正されなかったときに,賃貸借契約を解除することができることになりそうです。
しかし,賃貸借契約の契約期間は,通常は長期間にわたりますから,賃貸人と賃借人が互いに義務を果たしてくれるという信頼関係に基づく契約関係であるという特徴があります。
そうすると,たとえ賃借人に契約違反があったとしても,その契約違反によって信頼関係が破壊されたとはいえないのであれば,その契約違反を理由として賃貸人に契約を解除することを認めずに,契約関係を継続させるべきです。この考え方は信頼関係破壊の法理(又は背信行為論など)と呼ばれて広く認められており,裁判所でも採用されています。
以下では,どのような行為が信頼関係を破壊する背信的行為となるのかについて,代表的な契約違反[2]に関する事例を紹介しながら,ご説明します。
[1] 民法541条本文は,「当事者の一方がその債務を履行しない場合において,相手方が相当の期間を定めてその履行の催告をし,その期間内に履行がないときは,相手方は,契約の解除をすることができる。」と定めています。
[2] 本コラムで紹介する契約違反以外には,保管義務違反としての長期不在,火災,迷惑行為,ペット飼育,店舗の営業方法・看板設置や,その他の契約違反として,担保提供義務違反,更新料支払義務違反,株主構成や役員の変更に関する特約違反,犯罪行為・違法行為などがあります。
第2 信頼関係を破壊する背信的行為であると判断された事例
1 賃料滞納
賃料の滞納は,賃借人の基本的義務(民法601条)に反する契約違反です。
もっとも,賃料の滞納についても,信頼関係破壊の法理に基づいて契約の解除ができるかどうかが判断されます。
具体的には,賃料滞納の期間・金額,滞納の経緯,契約時の事情,過去の賃料支払状況,催告の有無・内容,催告後の賃借人の対応などの事情が総合的に検討されます。
賃料の滞納期間は,解除を認める理由として重要な判断要素であり,信頼関係が失われたと判断するためには,1か月分の滞納では認められませんが,最短で2か月分から3か月分の滞納を理由に契約の解除を認める裁判例は多数あります(近年の裁判例として,東京地裁平成25年2月13日判決,東京地裁平成29年1月13日判決等)。
2 用法遵守義務・使用目的違反
賃借人は,建物などの賃貸借契約の目的物を,契約に定められた用法,使用目的に従って使用しなければなりません(民法616条,同法594条1項)。
(1) 用法遵守義務違反
用法遵守義務違反で解除が認められた事案としては,賃借人の子が長年にわたり乱暴することによって家屋内の建具などを著しく破損したことを賃借人が放置し,賃貸人がこの破損の修繕を求めても応じなかったというケースがあります。裁判所は,このような賃借人の対応は契約関係の継続を困難とさせる背信的行為であると判断しました(最高裁昭和27年4月27日判決)。
また,用法遵守義務違反には,無断で増改築を行ってはならない義務が含まれます。ただし,無断増改築についても,信頼関係が破壊されているかどうかは,増改築を禁止する規定があるかどうかや,増改築の程度,原状回復の難易,交渉の経緯などが総合的に考慮されて判断されます。
たとえば,土地の賃貸借契約において,土地上に仮設の建物(バラック)のみの建築を認め,人が宿泊することは認められないという特約が定められていたにもかかわらず,その建物を長期間の耐用年数のある建物に改築したうえで,賃借人が夫婦で居住するようになったという事案において,裁判所は,甚だしい信頼関係の破壊であると判断しています(最高裁昭和31年6月26日判決)。
この他,ビル2階の賃貸借において,建築基準法と消防法に違反することを認識しながら中2階を新規に設置して,客席として使用していたケース(東京地裁平成21年10月29日判決)などがあります。
いずれの事案においても,契約違反を是正するための原状回復の措置が著しく困難であるという事情を考慮して,信頼関係の破壊が認められたと考えることができます。
(2) 使用目的違反
使用目的違反を理由として契約解除が認められた事案としては,たとえば,飲食店営業を使用目的とした建物賃貸借において,女性従業員の存在を売りとした業態への変更は認められないことを,覚書で明確にしていたにもかかわらず,いわゆるガールズバー営業のために使用していた事案(東京地裁平成25年5月16日判決)など,異なる業態での使用について解除が認められた事案が多数あります。
この他,賃貸借契約に定められた使用目的に反し,暴力団事務所として賃借物件を利用することは,信頼関係を破壊するものであると判断されたケースがあります(東京高裁昭和60年3月28日判決)。
3 無断譲渡・無断転貸
賃借人は,賃貸人の承諾がなければ,賃借権を譲渡したり,転貸することはできません(民法612条1項)。賃借人がこの規定に違反すれば,賃貸人は賃貸借契約を解除できるとされています(同条2項)。
ただし,無断譲渡・転貸による契約解除についても,信頼関係破壊の法理に基づいて契約の解除の可否が判断されます(最高裁昭和30年9月22日判決)。
無断転貸による解除が認められた事案としては,営業用店舗の賃借人が従業員に営業を行わせるのは問題ないが,賃借人が経営から離れ,第三者が店舗の営業を行うことになった場合には,賃借人はその第三者に独立した店舗の使用・収益する権利を与えることになるとして,解除が認められたケースがあります(東京地裁平成20年2月7日判決)。
考慮される事情としては,賃借物件を賃借している実質的な主体が誰なのかという観点が重視されていると考えることができます。
第3 信頼関係が破壊されたかどうかを判断する場合に考慮される事情
1 信頼関係とは
以上のとおり,信頼関係が破壊されたかどうかを判断するにあたって,裁判所が考慮する事情は様々であり,賃料収受や損害の発生などの経済的な事情だけではなく,賃貸人や賃借人その他転借人など賃貸借契約に密接に関連する人の属性等,諸々の事情が総合的に考慮されます。
ただし,裁判所によると,ここにいう人の属性とは,感情的な事情を重視するものではないとされます。
賃借人が賃貸人に対して常に威圧的で見下すような態度で接していたことが背信的行為であると主張された事案において,裁判所は,信頼関係とは,感情的にうまく協調できるという個人的な信頼関係のことではなく,社会的な観点から,信義に従って誠実に行動することが相互に期待できるという関係を意味すると判示しました(東京地裁平成21年8月28日判決)。
そのような考え方に基づき,裁判所は,相手に対して常に威圧的で見下すような態度で接していたという事実は,背信的行為があったかどうかを判断する際に,必要以上に大きく考慮すべき事情ではないと判断しています。
2 複数の契約違反を併せた総合考慮
契約違反が複数あった場合に,それらの契約違反の一つだけをみれば,信頼関係が破壊されたとまではいえないと考える余地があっても,複数の契約違反を併せて総合的に考慮すれば,信頼関係が破壊されていると判断されることがあります。
裁判所は,建物の用途が住居であるところ,倉庫のような態様で使用されたことや,賃借人以外の者が建物を使用していたことなどが背信的行為であると主張された事案において,これらの行為を一つだけ取り上げて背信的行為に当たるかどうかを検討すれば,当たらないと考える余地がないわけではないが,これらの行為を総合的に考慮すれば信頼関係が破壊されていると判断し,契約の解除を認めたことがあります(東京地裁平成27年1月14日判決)。
第4 結論
以上のとおり,契約の解除が認められたケースにおいては,契約違反の程度や態様,結果に鑑みて,賃借人が賃貸人からの信頼を失ったといえるかどうかという観点から,背信的行為の有無が判断されていると考えられます。
そうすると,賃借人の契約違反があった場合でも,契約違反の程度や結果の重大性がそれほど重くない状態であれば,契約を解除することは困難ですから,契約違反によって不都合が生じていることを賃借人に伝えて是正を求めたり,損害が発生しているのであればその賠償を求めることができるにとどまります。
これに対し,契約違反の程度や結果が重大なのであれば,すみやかな契約の解除を検討していくことになります。